本日のテーマ:「レオナルド・ダ・ヴィンチ流浪の時代〜チェーザレ・ボルジアとの出会いと帰還〜」
ミラノ陥落により47歳でパトロンを失ったレオナルド。マントヴァ、ヴェネツィアを渡り歩き、恐れられた冷酷な君主チェーザレ・ボルジアの軍事技師へ。激動の時代を生き抜いた天才の3年間と、フィレンツェ帰還の軌跡を追います。
👇今回の見出し👇
1499年のミラノ陥落/47歳で庇護なし/手稿と道具の荷造り/マントヴァ侯爵夫人/イザベッラ・デステ/未完の肖像画素描/ヴェネツィアの軍事技師/オスマン帝国海軍への対抗/皮製の潜水服/兵器の倫理/1502年チェーザレ・ボルジア/カトリック教会のトップの息子/君主論の理想のモデル/イモラの都市地図/航空写真のような俯瞰図/1503年アレクサンデル6世急死/51歳でのフィレンツェ帰還/若き天才ミケランジェロ/アンギアーリの戦い/未完の壁画対決
👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇
①イザベッラ・デステと未完の肖像
マントヴァ侯爵夫人であり、当時の芸術の強力なパトロン。レオナルドは彼女の肖像画の素描を描きましたが、結局完成品を届けることはなく、再三の催促も無視してしまいました。
②ヴェネツィアでの潜水服構想
オスマン帝国海軍への対抗策として、敵船の底に穴を開けるための皮製の「潜水服」を考案。しかし「悪人に利用される」という兵器の倫理的理由から、設計図を公開することはありませんでした。
③冷酷な君主チェーザレ・ボルジア
教皇アレクサンデル6世の息子で、マキャヴェッリの『君主論』のモデルとなった人物。レオナルドは彼の元で軍事技師として働き、実測と計算に基づく傑作「イモラの都市地図」を作成しました。
④フィレンツェ帰還とミケランジェロ
チェーザレの失脚後、51歳でフィレンツェに戻ったレオナルド。「ダヴィデ像」を完成させた若き天才ミケランジェロと、同じ建物の大広間の壁画で競作することになります。
■ 関連年表
1499年: ミラノ陥落。後ろ盾のスフォルツァ家を失ったレオナルドは街を去る。
1500年頃: マントヴァに立ち寄りイザベッラの肖像画素描を作成。その後ヴェネツィアで軍事技師として活動。
1502年: チェーザレ・ボルジアの軍事技師に就任し、「イモラの都市地図」などを作成する。
1503年: 教皇アレクサンデル6世の急死によりチェーザレの権力が崩壊。レオナルドはフィレンツェへ戻る。
1504年頃: フィレンツェ政庁の大広間にて、ミケランジェロとの壁画競作(アンギアーリの戦い・カッシナの戦い)が計画される。
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